
北海道で生まれて育った私は、
冷たさと美しさが隣り合わせの大自然の中で、
感性のすべてを育ててもらいました。
雪が光る輝き、海が荒れる匂い、風の冷たさ、
漁師さんの豪快な笑顔、
誰かが作ったものを“わけ合う文化”文化。
それら全部が、
大人になってネットショップの仕事をする
私の“目”と“心”をつくってくれたのだと思います。
本当の良さを知る感覚も、
いいものを作っている人を応援したい気持ちも、
きっとあの土地が私にくれた贈り物。
今回は――
育ててもらった土地にいつか恩返しをしたくて、
何度も挑戦して、叶わなかった“北海道での仕事”の話を書いてみます。
(これが、私のネットショップ支援をしていたころの原点です。)
育ててもらった土地へ、いつか必ず返したい
-北海道で叶わなかった仕事と、いま私にできること
北海道で生まれて育った私は、
冷たさと美しさが隣り合わせの大自然のなかで、
雪が光るきらめきや、手のひらで溶ける前に見えた結晶、
風が変わる瞬間の匂い、
海の荒れ方で「今日は危ないかな?」とわかる景色、
漁師さんの豪快な笑顔と、迷いのない生き方。
すでに関東で暮らして30年以上の時間が経ちましたが、
あの土地はいつも“私のそば”にありました。
食べ物も、人も、自然も、嘘がつけない場所。
だからこそ私は、小さな頃から
「いいものはいい」「本物は必ず伝わる」
という感覚を、身体で覚えていたのだと思います。
そして大人になり、ネットショップの仕事をするようになって、
北海道で育ったことが、静かに息を吹き返しました。
「いいものを作っている人は、ちゃんと報われてほしい。」
「届ける人がいなければ、埋もれちゃう。」
「作り手の想いを言葉にする人が必要なんだ。」
その気持ちは、どれだけ年を重ねても消えませんでした。
40代、何度試みても“叶わなかった”北海道の仕事
実は40代の頃、
私は何度も北海道の仕事をしようと挑戦しました。
だって、中小企業も農家さんも、作り手さんも、
「価値があるのに伝わっていない」ものがたくさんあったからです。
“私が生まれ育った土地に恩返ししたい”
その気持ちは本物でした。
けれど、現実はなかなかうまくいきませんでした。
北海道は、日本の中でも「距離」という壁がありすぎるのです。
- 飛行機に乗らないと行けない
- 移動が長く、空港からさらに4時間
- 冬はそもそも移動できない地域もある
- オンライン文化が根づきにくい
- 地元の人ほど「会わないと信頼しない」
- そもそも予算がない地域も多い
ほかの地域なら新幹線でひょいと行ける場所が多いのに、
北海道だけは、交通費だけでプロジェクトが成立しませんでした。
本当は「ボランティアでもいい」と思っていました。
でも、アクセスの問題だけはどうにもできなかった。
そして何より、
田舎の人は本当に温かくて、
「一度会いたいんです」と言ってくれるのが嬉しくて、
余計に断るのが辛かった。
あの時は、
「私にはやっぱり無理なのかな……」と
何度も落ち込んだ記憶があります。
北海道で育ったから、この気持ちになった
私が「作り手を助けたい」と思う理由は、
かっこいい話でも、ビジネス論でもありません。
ただの“原体験”なんです。
こどもの頃、漁師のおじさんが
「お姉ちゃん、これ食べるか?」と
目の前でウニを割ってくれたこと。
朝起きたら、玄関に誰かが置いた牛乳やとうもろこしが
山のように置いてあったこと。
冬の日、空気中の水分が一斉に光る
ダイヤモンドダストを毎日のように見ていたこと。
漁師のおじさんにズワイガニを40匹もらって、
近所中に配って歩いたこと (笑)
自然も人も“惜しみなく分ける”文化の中で育った私は、
大人になってからも同じ気持ちのままです。
いいものを作っている人は、本当に救われてほしい。
届けられずに埋もれるなんて、悲しすぎる。
そう思うのは、
私の職業上の使命というより、
育ててくれた土地への“恩返しの気持ち”なんだと思います。
今の私にできることは、たくさん残っている
北海道の仕事は、当時は叶いませんでした。
でも、それで終わりだとは思っていません。
むしろ今は、
ブログやコラム、言葉や表現を通して
“本物の価値を翻訳する”ことができる。
それは、移動距離とは関係なく
誰かの役に立てる形です。
これから私は、
生まれ育ったあの土地への想いを、
少しずつでも形にしていきたい。
ネットショップ支援という仕事も、
ブランディングという役割も、
きっと北海道で育った私の原風景がつくってくれたものだから。
育ててもらった土地に、いつか必ず返したい。
その気持ちを忘れずに、
これからも小さな一歩を積み重ねていきます。
